今回、うさは闘病生活から抜け出せないまま、ぴーちゃんよりも一足早く、お月様へ帰ってしまいました。
この闘病日記は「上強膜炎&ブドウ膜炎」というタイトルで、目の疾患のことを書き綴っていた訳ですが、実際はもっと深刻なものでした。目に病気が出たのも、元を正せば「菌」の仕業。別な章で書いた「耳の異常(斜頚)」も「皮膚の異常(治らない足の湿疹)」も、今回の治療中で担当してくださった多くの先生方(7名ほどいたかと思います)の意見は全て「細菌」(パスツレラ等)と結びつけておられました。ですから、治療内容も、抗菌作用のある抗生物質の投与(うさぎに対して安全なものです)という形で一貫して行ってきました。その抗生物質も、死ぬまでずっと投与を続けなければならないと言われていました。何故なら、今以上の症状がでるのを抗生物質で押さえ、また出てしまっている症状についてはその進行を押さえるために。最後の方は、抗生物質で生かしている状態だったようです。抗生物質の長期投与について、戸惑いも全く無かったわけではありません。しかし、途中で投与をやめる勇気もありませんでした。私は、病院の多くの先生方を信頼し、色々相談し、先生方の方針に従い治療を続けてきました。
今回、長くお世話になった病院は、「病院の料金」のところでも書いているように、本院、分院の2箇所の病院に十数名の獣医師の方々が交代で勤務しています。特に、決まった曜日の同じ時間だからといって、同じ先生がいるわけではなく、当初は正直言ってそれが嫌だなと感じました。一貫して一人に診てもらったほうが安心では?と考えていました。しかし、長く通うに連れて途中から考えが変わったのです。色々な先生がうさのカルテを見て、前の先生がどんな処置を行ったのかを見ているんです。そして、自分もそのやり方で間違いないと思えば、それに従うし、ちょっと無理があると思えば、いい方向に正して行ってくれるし。これだけの獣医師が診ているんだから、逆に安心なんだなと思うようになりました。実際,この病院は「うさぎ」という棚にカルテが山ほどありましたので、相当診ていることは間違いないようです。
言葉を話せないうさに変わって、どうしてほしいのか、どんな状態なのかをできるだけ正確に先生に伝えることは本当に大事です。些細なことでも、「嫌だな」とか「どうして?」と思ったら、素直に伝えるべきです。私も途中、色々な薬を変えてもらったりもしました。「これでは量が多くて投与しづらい。うさの負担が大きい。」と言えば、量が少なくてすむ形状に変えてくれたり、「この薬はベタベタして、毛が湿ってしまう」といえば、さらっとしたものに変えてくれたり、「何だか効果が無いみたい」と言えば、別なものを探してくれるし。たまに、つるつるの診察台の上にそのまま「うさを乗せて下さい」と言われたこともありました。そのまま乗せると、手足が滑ってしまい、うさがふんばってつらそうです。「台にタオルを敷いてもらえませんか?」と一言言えば、状態は改善されます。処方された薬に対しても、必ず質問するべきです。何の効果があるのか、どんな働きなのか、うさぎに安全であるか。聞き忘れたこと、家に帰ってから不安に思ったことは電話で聞いたこともありました。私にはうさにかわって色々と確かめる責任があります。以前にかかった別の病院では、料金の請求内容が不明確なことや、「うさぎはこうやるとおとなしくなりますから」と耳を掴まれた事もありました。そのときは、疑問を感じても何も言えずにいましたが、今回の病院では長いこと通いなれたせいか、結構思ったことは口にしていました。これが正しい姿なんだなと思います。だって、私は人間の言葉が話せるんだから。
うさを完治させてあげられなかったことは、非常に残念です。「貯金、全部使い果たしても治してあげる」(微々たるものですが)と豪語してきたのですが、良い子のうさは、使い果たす前に去っていきました。でも、やれるだけのことはやってきましたから、あまり悔いも残りません。今は、うさが痛みの無い世界で、元気に跳ね回り、たらふくおいしいものを食べていると信じています。
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