午前1時頃、ケージの中からガタっと物音。また下痢便かな?とケージの中のうさに手をやる。何だか一生懸命滑らないようにもがいている。数日前から手足が弱ってはいたが、こんなにもがくなんて???電気をつけてみると、何だかうさの下半身がおかしい。左右に張り出しているべき腿が、くぼんでいるというか、体の中に入っているというか。内股になっているような感じ。驚いて、うさの体を抱えて絨毯のほうに置いてみると、やはり、下半身が立たない。すべっているのではなく、下半身が麻痺してしまっているようだ。お尻には下痢便を付けていて、それが気持ち悪くて一生懸命飛びのいて、物音がしたらしい。脚をつかんで、正常な状態にもっていっても、すぐに手足が開いていってしまう。お尻の下痢便を拭き取り、体全体をマッサージする。ケージ内に戻しても、タオルの上でもずるずる滑る。そこでフラットなクッションをケージ半分に置き、そこにペットシーツを敷き、うさをのせる。ちょっと体が沈む感じで、おさまりがいい。うさもようやく落ち着く。
その後、うとうとと眠ろうとする度に、うさがガタッと飛びのく。下半身は麻痺しているが、必死で場所を移動している。その度にお尻を拭き、お尻の下にティッシュを2枚敷いてクッションの上に戻す。途中、うさの手を握り締めて何度かうとうとしたが、結局ほとんど不眠状態で朝になった。
午前中から、うさのケージには暖かい日が射し、うさは日の射す方向に顔を向けて眩しそうに半分目を閉じている。そんな光景を見ていて、すごくすごく悩んだ。病院に連れて行こうか、それともこのままそっとしておこうか・・・。こんな時でも、うさに薬と強制給餌はしなければと、うさの口元にシリンジを近づけた時、「おや?」と思った。というのは、うさの下顎の辺りがぷっくりとピンクにふくれていた為。触ろうとすると、思いのほか強い力で手を押しのける。ようやくちょっとだけ触らせてくれたが、何だかぷよぷよしている。膿んでいるの?と心配になり、病院に連れて行くことを決意。遠いが、何かあったときにすぐに処置ができる本院に行こう。本院は非常に遠く、バスをいくつも乗り継ぐか、電車を乗り継ぐかしないと行けないが、今のうさの体力では、移動の際にあまり揺れるのは好ましくないと思い、タクシーを手配した。
出かける前に、うさの体を撫でていると、朝いつもどおりの量の輸液をしたのに、もうすっかり吸収されている。脱水症状もかなり進行している?これから病院へ行って帰ってくるまで数時間かかるので、半量の輸液をしよう。私一人で輸液を行うのは初めて。不安だったがうさの為と思いきって処置。予想外にすんなりと終わった。
今朝、出掛けにうさパパがビデオカメラとデジカメを私に渡した。「うさを撮ってあげなよ。」と。私は、弱ったうさを撮るのがかわいそうでここ数ヶ月極力それを拒んできた。しかし、今は何故だか「撮らなくちゃ」と思えた。写真を数枚撮り、ビデオを回した。撮影中にうさがちぎった野菜を口にした。「頑張れ!」しかしすぐにうさがクッションの上から飛びのいた。また便が出たらしい。そこでビデオを回すのはやめた。
そろそろ出掛ける時間。キャリーバッグの中にうさを入れうさの左右とお尻のところに丸めたバスタオルを詰める。安定しない体に無理がかからないように
気遣う。更に、背中に保温の為ハンドタオルを乗せる。
「ぴーちゃん、行って来るよ。」キャリー越しにぴーちゃんとうさが向かい合う。
病院にて
15度目の通院。道が空いていて、思ったよりも早く病院にたどり着けた。
体重1.2kgくらい(本院の体重計はデジタルではないのでおおよそ)。今日の先生には前に1度だけ診てもらった事がある。薬をもらうだけに近い時だったので、あまり詳しくは診てもらった覚えが無い。触診、目の状態、下半身の状態を診てもらう。ところがこの先生、変な言い方だが、すごく詳しいし話すこともまとも。複数の先生に診てもらっていると、患者側からみて、この先生はうちのカルテをあまり読んでいないなとか、うさぎはあんまり得意じゃないでしょとか、ちょっとわかってしまったりするもの。この先生は話していて信頼できると思い、色々と突っ込んで質問し、アドバイスを求めたりした。うさの状況は、先生から見て相当悪いものらしい。神経麻痺まで出てしまった今は、私にもそれはよくわかっている。
うさの顎の下のふくらみは、いつも水を飲んだ後に顎が湿った状態になっていたのが原因で炎症を起こしているだけとのこと。早く治るように下あごの毛をそってもらった。家でイソジンを塗るように指導される。
どうしても気になる口のことも相談してみる。レントゲンでは何もでないが、やはり可能性として消去されたわけではない為、疑ってしまう。先生がペンライト
で覗いてくれることに。口の中にペン先を入れた先生から、「来る前にチンゲン菜食べさせました?」と聞かれる。うさの口の中にはまたもやチンゲン菜が入っていたらしい。そのことに先生も訝しげな様子。まずは右下問題なし、次に右上も大丈夫というように順に奥歯を診ている。ペンライトを突っ込まれたうさが嫌がって口をくちゃくちゃしている隙に、下と頬の内側もチェック。奥歯にトゲ状の歯は絶対にない。さらに、見える範囲の口中に傷・潰瘍もない。これだけ舌を動かせていれば、舌の奥に潰瘍があるとは考えられない。との結果。やっと、口の中には何も原因がないことが判明した。初めから、この先生に当たっていれば・・・と思うと少々悔やまれが、はっきりしたことで何だか胸のつかえがとれたような感じ。食べなくなった原因は、口ではなく、やはりお腹が痛くて食べられないのか?現在は神経障害も出てしまい、脳まで侵されはじめてしまったということ。余計に食べられない・・・。
その後の先生の話は、「正直言って、つらい話かもしれないし、こんな話をして気を悪くするかもしれないが、今こうしてうさちゃんが生き延びているのは抗生物質のお陰。抗生物質で生かしている状況。貧血状態も脱水症状もかなり進んでいる。これで本当に全く食べられない状態になれば安楽死の選択だって出てくる。お預かりして(入院)強制給餌したとしても、この状態だと、死ぬまでおうちに帰ることができない可能性のほうが高い。病院で預かったところで、回復は約束できない。それなら自宅で好きなものを食べさせて看取ってあげたほうが幸せかも。安楽死という選択も、もう出てきています。」というものだった。私も「
前回も、入院の話はお断りしているし、安楽死させる気はない。自宅でできるだけのことをしてあげるつもり。」と答え、自宅での色々な処置のアドバイスを受けている最中、先生の手の中のうさが、体を突っ張らせ、もがきはじめる。よくみると、眼振が。目が左右に揺れている。慌てて先生に言うと、先生は非常に落ち着いた様子でうさを押さえている。少ししてどうにか治まった。先生からのアドバイスも聞き終え、処置もして頂き、うさを連れて帰る段階になったが、先ほどの様子を見て、これから自宅まで連れて帰るのも心配になった。あまり良くないものとは百も承知だが、私から先生にステロイドの処方をお願いした。先生もそれを承知してくれ、この場でまず注射を打って、それから飲み薬として1週間分のステロイドを処方してくれることに。注射の用意をすると言って、先生が少し部屋を離れた間に、しゃがみこんで、診察台の上のうさと同じ目線になって体をいっぱい撫でた。いつものように、うさの額にいっぱいキスをした。「がんばれ」と何度も声を掛けた。うさの目のまわりと耳の白さが、ずっと増したように感じる。
その後、注射を打ち終えて、少し先生と話をしている時にまた硬直と眼振が。今回は先ほどよりも軽く短い。急いで家に帰ろう。
お別れ 病院を後にして、タクシーで帰路に着いた。
自宅まで、うさの体力はもたなかった。
病院で懸念して注射してもらったのに、間に合わなかった。
もう一度、ぴーちゃんに会わせてあげたかった。
もう一度、美味しいものをたらふく食べさせてあげたかった。
もう一度、元気に走らせてあげたかった。
もう一度、河原に散歩に連れて行ってあげたかった。
もう一度、抱きしめてあげたかった。
うさ、4年と約11ヶ月の短い命。5歳の誕生日は目前だったのに。
病院へ行かずに自宅でそっとしておいてあげたら、もう少し一緒にいられたかも・・・。一瞬、そんな考えも頭をよぎったが、やはりそうじゃない。今回病院へ連れて行ったことは決して間違った選択ではない。病院へ連れて行って、納得の行くまで診てもらえたし、うさの治療についての話をとことんすることができた。もし、連れて行かずに「口の中に問題があるのでは?」という疑問を抱いたまま、うさが旅立ってしまったら、きっとそれをつきとめてあげられなかったことでいつまでも後悔がのこるはず。自分に対しても、病院に対しても。
うさは、お月様に帰ってしまった。ぴーちゃんよりも一足早く。魂が飛び立ってしまったうさの入ったキャリーバッグは、ずっしりと重く感じた。生きているものが入っている感覚ではなかった。この感覚は一生忘れられないと思う。
自宅で、キャリーバッグからうさを出し、思いっきり抱きしめて、体をさすって、いっぱいキスをして、思いっきり泣いて・・・。ひとしきり落ち着いたところで、病院に電話を入れた。別に今しなくても・・・と思う方もいるだろうが、私はまず、あの先生に報告したかった。そしてお礼を言って電話を切った。ただ「ありがとうございました」と言いたかった。最後の最後にうさに関わってくれ、私の疑いを晴らしてくれた先生に。その後、うさパパに電話を入れた。ちょっと落ち着いたはずだったのに、さすがにうさパパ相手では気丈になれず、泣きじゃくりながら今日一日の次第を話した。そして、うさパパに花を買って帰ってきて欲しいとお願いした。
うさはまだ少し温かい。最後の時に体を突っ張らせたせいで、片方の手が折れ曲がったまま硬直している。片方の足も、前にぴんと伸びたまま。いくらさすっても、もどらない。そして何より、目が違う。生と死で、こんなにも目がちがうなんて。うさの目は、両目とも開いたまま。いつもは目の表面は潤っていたが今は潤いがない。なんだかぶよぶよ。乾いた両目に、いつも点していた目薬を点してあげた。そして、手でまぶたを下ろした。でも、なんどやってもまた目が開いてしまう。生きているかのように。うさの体をまんべんなく撫でる。下半身、お腹側に下痢便がついていて汚れている。真っ白だった口の周りと両手先も、食べこぼしで薄茶色に汚れている。もう一度きれいにしてあげたい。きれいな真っ白の毛にしてあげたい。そう思った私は、迷わずシャンプーを持ってうさを風呂場に連れて行った。洗面器にうさの体を入れ、左手で座らない首を支え、右手でシャワーをかけた。丁寧に丁寧に汚れた体を洗った。途中、私はちょっと気がふれたのかもしれないと思った。いきなりこんなことをして、狂ったかな?うさの体はきれいになったが、さっきよりもうさの死を強く感じることになってしまった。首がすわらない、体の肉が下がりきっている、だらんと重い・・・。濡れた体をバスタオルで包み、体をこする。胸が痛くなるほど、うさの体の細さを感じる。部屋へ連れ帰って、ドライヤーの温風をあてる。しかし、ここでまた生と死の違いを実感してしまった。いくら乾かしても乾かないのだ。うさが火傷してしまわないように気遣うが、本当に乾かない。体温が無いとこんなにも違うものなんだ。
途中、うさパパが花を持って帰宅。私は、「お願いだから、まだ見ないで。」と言い、待っていてもらう。うさパパには今のうさの姿を見せたくなかった。それは限りなく「死体」だから。魂の抜けた抜け殻みたいだから。きれいなふわふわのうさを見て欲しかった。しばらくして、「そんなにドライヤーをあててたら、うさが燃えちゃうよ。」とうさパパが言ってきた。「もう少しだから待ってて。」気が付いたらドライヤーをあてはじめてから、かれこれ1時間以上経っていた。本当に乾くまでには1時間半を要した。うさパパがうさに触れたときには、ドライヤーの熱のお陰で、うさは温かだった。真っ白な毛は限りなく真っ白になり、きれいでふわふわでやわらかだった。薄目をあけていて、うさパパが言ったようにまるで「眠っているみたい」だった。
うさ用のピンクの座布団を敷いた小箱にうさを横向きに寝かせ、箱との隙間にうさパパの買ってきた花を詰めた。少し背中を丸めて、薄目をあけて、花にうずもれたうさは、とても愛らしい寝顔で、魂が抜けたとは思えないくらい。うさの顔を見つめていると不思議と微笑んでしまう。感謝の気持ちがあふれ出る。
「今まで良く頑張ってくれたね。ありがとね。」ぴーちゃんを呼んで、うさと御対面させようとするが、ぴーちゃんはうさの近くによって来て一べつするのみ。よくわかっていないのかな。
そうだ、お線香。うさパパと二人で近くのコンビニに出掛ける。暖かで、風が気持ちのいい夜。散歩には最適だ。気が付いたら、うさパパの夕飯のことを忘れてた。線香と、ついでに夕飯も購入。ごはんなんて食べる気はなかったがそういえば朝から何も食べていなかったな。帰宅して、うさに線香をあげ、うさパパと食卓に向かい合う。「うさがうちの子で良かったね。うちに来てくれて良かったね。」と色々とうさの話をしているうちに、こんなときなのに食欲が。今日初めての食事がすんなり胃の中に収まった。
食後、タウンページを開いてペットの葬儀屋さん探し。条件は、私がうさと一緒に火葬場まで行き、私も立ち会いの上でうさを単独で焼き、お骨が拾えるところ。最近良くある火葬車が来て家の横で焼くシステムや、他の遺体と一緒に合同で焼くものや、業者が遺体を引き取りに来て、どこかで焼いた後にお骨を届けに来るというのは絶対に嫌。うさの体を私以外の手に渡したくないから。うさと離れるのは嫌だから。割と近くに、条件をかなえられる業者があったので、そこにお願いをした。明日の朝8時に車で迎えに来る。外見は普通のワゴンだけど中は霊柩車だそうだ。3人まで一緒に乗れるというので、うさと一緒にいれる。
昨日までと同じように、うさのケージの中のクッションの上にうさの寝ている箱を置き、私もまた、ケージの前でうさと一緒に眠った。
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